Vol.1

「もう潜りたくない」 そう思ってしまった。今までは潜りたくて仕方がなかったのに・・・。カナダの暗く冷たい海に完全にやる気を削がれてしまった。水温は水面で20度、60m以上いくと10度以下。透明度は20m潜ると真っ暗だ。水面付近の栄養度の高い緑色の水が太陽光を完全に遮断してしまうからだ。まさにナイトダイビング。初めてのダイブはなんと36m、全くあり得ない深さ。愕然とする、何も考えられない。井田の80mよりも暗い。そして気を取り直してやっと52m。しかしこれでは日本の勝利に貢献できないどころか自分としても納得がいかない。トミー(富永直之選手)は初めてのダイブで63mしかし「下では暗くて何にも見えやしない、上だか下だか分からない」と、やはりこの海に怖さを感じている様子だ。無理もない、彼はいつもパラオの暖かくて明るい海で潜っているのだから。自分もハワイ、キプロスと条件のいい海で潜ってきて最後にカナダの海はかなり辛かった。カナダに比べたら伊豆の海が天国のように思えた。「暗いし何も見えないよー!」とボートキャプテンに言うと「WELCOM TO CANADA!」と返ってきた。どうなることやら。
しかし、人間慣れてくるものである。二回目のトレーニングでは篠宮は76m、トミーも68mをマーク。少しづつ希望が見えてきた。しかし、ハマー(北浜淳子選手)はこの海に苦戦中のようだった。彼女も決して条件がいいとは言えない真鶴の海をホームゲレンデにしているが、この海の過酷さは比ではないのだ。
他国の選手も集まり始めてきた。アナベルの娘さんのジェシカがいるUSチーム、UKチーム、オランダ、そして今回優勝候補のドイツなどなど、雰囲気が盛り上がってきた。3回目のコンスタントトレーニングはUSチーム、UKチームとともにホーシューベイの沖へ出た。船がポイントへ近づくとそこへアシカの子供が近づいてきた。突き出たハナにヒゲが生えていて、どこか犬のようだ。「黒のレトリバー犬みたいだ」といってトモ(山内知子コーチ)と笑いあう。大きな瞳でこちらを伺い、とても可愛らしい。10人乗りのシードラゴンではUKチームのムードメーカー、サムが終始騒いだり、ギャグを言ったりといつになく明るくいい雰囲気だ。大勢いると暗い海でも楽しめるような気がした。今回はいい気分、思い切ってロープを80mまで伸ばした。この明るい雰囲気に後押しされたのか82mまでいけた。ようやく自信を取り戻せた。トミーも70m以上をマークし、調子を上げてきた。帰りの船ではサムたちと談笑しながらリラックスして戻った。太陽がキラキラと水面に反射し、その中を船が風を切って進む。2階のデッキに上がりくつろぐことにする。遠くにはヨットがたくさん浮かんでいる。優雅な気分だ。 他国の選手と話していると日本はかなりマークされていることが分かった。ベネズエラ、ドイツ、そして日本が今回のトップ3と目されている。なんだか鼻が高かった。ついに日本もここまで来たか!
いよいよ大会が始まる。いつもこの雰囲気が大好きだ。世界中から集まったフリーダイバーが同じ目的に向っていくこの雰囲気。盛り上がってカオスな感じではあるがやはり一つになるような、そんな感覚。「世界は一つ」スポーツを通してこんな素晴らしい気持ちになれることに、そして海に深く感謝したい。日本代表としてこの場にいることはとても幸せなこと。そして各国の選手たちと再会を喜び合う。6月のキプロスで初めて会ったエジプトのヤヒアとジェニファー。もう長い友達のような気分になる。埼玉の北浦和に住んでいたことがあるUKのデイブ。日本語で「君も埼玉なの?大宮?ダサいねダイサイタマ!」と。余計な世話だよ。UKのDEEPESTベアーに対抗してニュージーランドからはDEEPESTキウイが登場!大注目を集める。キウイがカーボンフィンを履いているのだ。オープニングセレモニーではインディペンデント参加の樋口さんが素晴らしいピアノを披露してくれた。会場から大きな拍手が上る。カークの挨拶に続いて各チームがステージに上る。今回の参加国は男子9カ国(ドイツ、UK、UK、カナダ、オランダ、日本、メキシコ、ニュージーランド、ギリシャ)女子は8カ国となった。当初は20カ国以上の参加を見込んでいたようだがキプロスが6月に開催されたこと、カナダの水が冷たく暗いことが参加国が伸びない大きな原因となったようだ。そして運悪く(我々にとってはラッキー!)優勝候補ベネズエラがなんとドタキャン。直前まで粘ったようだがビザが下りず不参加となった。これで一気にメダルへの可能性が開けた。ドイツも小躍りしている。
オフィシャルトレーニングが始まる。本番同様のバージでのトレーニングだ。ここで85mまで持って行き、80mの申告をするのが目標だ。しかし当日は小雨が降っていて体がすぐに冷えてしまった。アップ中も震えが止まらない。太陽のありがたみを痛感する。水中もいつになく暗くそして冷たい、水面でも18度だった。サーモクラインがかかる。これでは85mどころではない、80mで引き返す。コンディション的には問題ない水深なのに上ってからかなり苦しかった。サンバこそ起こさなかったがきつかった。体の震えは筋肉を余計に使ってしまい酸素を消費してしまう。それに震えているとうまくリラックスできない。一気に恐怖心が芽生えてきてしまった。何かが違う・・・。 マズイ。 市川さんは一度水に入ったもののまたバージに上がり体を温めてリラックスしてからまた入水した。ベテランにとってもこの状況は非常に厳しいようだ。自分にとって初めての世界大会は市川さんに連れて行ってもらった2000年のワールドカップスイス大会だった。あのときは湖でコンスタントを行った。水はカナダと同じような感じだったが、いつも良く晴れていて気持ちよく入れた。このカナダの海ではその倍以上の深さに潜らないといけない。それに雨の降る最悪のコンディション。本番で同じように雨が降ったら80mは厳しいだろう。今回は80mはパスするしかない。川口監督とマットコーチと相談し申告は78m以下に抑えていくことに。残念だがチーム戦略を第一に考えるべきだ。
翌日もオフィシャルトレーニングが続く。またも雨の降る天気。自分は疲れを残したくなかったのでパス。のんびりすごすことに。一方トレーニングに出かけた選手たちには波乱のドラマがあったようだ。まずは市川さんが生まれてはじめてのBO。70m潜って帰ってきたのだがラストの15mほどのところで意識が途切れてしまったようだ。さぞショックだったに違いない。やはり気持ちがめげてしまって50m申告で行きたいと漏らしていた。そしてその後、茶髪を綺麗にそってスキンヘッドに!反省の意を込めてコレくらいやらないと、とのことだが逆に注目を集めていてウケル。ニッカちゃん(森永ニッカ戦手)は50.9mをマーク!暗い海がお好きなようで・・・。そしてトミーは市川さんのBOにもゆれず80mをヒット!やはりこの男やる。カナダの海で自己ベスト80mとは。メグさん(松元恵選手)とハマは軽めのトレーニングで切り上げた。この海で無理は禁物。サクっと上って正解だろう。
コンスタントの申告が終わってみるとなんと日本男子は成功すれば1位に入ることに!そして女子はカナダに次いで2位!凄いことだ。今までは上位国の失敗を狙って入賞していたのにいつの間にかコンスタントで1位と2位だなんて。篠宮75m、トミー70m、市川さん60m。そしてメグさん、ニッカちゃん48m、ハマ43m全員セーフティーな申告だ。だれも自己ベストや日本記録も狙っていない。安全を見た申告、問題ない。にもかかわらず篠宮は大会で一番深い申告、トミーは二番目となった。コンスタントは日本がワンツーフィニッシュだ!自分がこの世界選手権でDEEPEST?!そしてトミーも成功すれば世界大会初参加選手としてはDEEPEST!!すごいぞニッポン!いつの間にこんなに強くなったんだ。自分も成功すれば過去の世界選手権でDEEPESTであったウンベルト(98年60m)、ハーバート(01年86m)と同じところへ立てるのか、そう思うとゾクゾクしてきた。信じられない。
スタティックでも順当にやればメダルは間違いない。男子は銀メダルもいけるかも?いやドイツが頑張りすぎてこければ優勝の可能性もある。この日の日本チームのミーティングはいつになく明るく楽しい雰囲気になった。皆勝利を確信していた。「日本もここまできたかぁ」とベテランメグさんがしみじみとつぶやく。市川さんもなんだか嬉しそうで目がキラキラしていた。自分も顔が上気してなんだかフワフワしていた。地に足が着いていないような浮ついた気分だった。まだ終わってもいないのに勝った気分になっていたのだ。
